二十日
二十日大根というものがある。
種を蒔いてから収穫までの時期が約二十日間。
さらにその時期を早めた十日大根というものもあるそうだ。
まさに生命の神秘。
生命の神秘といえば、新しい生命の誕生。
二十日鼠の妊娠期間は二十日。
すごい生命力だ。
ちなみに、二十日鼠は『廿日鼠』とも書く。
一説には、噛まれても痛くないから『甘口鼠』と呼ばれたが、書き間違いにより『廿日鼠』になったとか。
いやいや、じゅうぶんに痛いよ?
十九文屋
100円ショップの歴史はとても長い。
が、消費税の導入は100円ショップの登場よりも前なので、100円ショップがホントに100円だったことはない。
江戸時代、十九文均一で安物の雑貨を売る露店があったそうな。
その名も『十九文屋』。
100円均一の元祖みたいなものだな。
100円ならキリが良いのでわかりやすいが、十九文とはまた中途半端な・・・。
よくよく調べて見ると、均一ショップではなかったとの説もある。
十九文以下、言い換えれば二十文未満。
何を買っても二十文でおつりがくる。
二十文屋と言わなかったのは、より安さをアピールするため。
そんなところだろうか?
どこの世界にも商売上手っているもんだな。
十八歳
成年の引き下げの是非が問われている。
天皇家ではもともと18歳成年なんだとか。
まぁ、ずっと昔は15歳で元服ですから。
ちょっと調べて見ると意外なことがわかった。
クルマや小型船舶など、ほとんどの乗り物の免許は18歳から取得できる。
ところが、一足早く17歳で取れるすげぇ乗り物の免許。
それは自家用飛行機と自家用ヘリコプター。
知ってたら17歳で取ったのに。
って、飛行機もヘリコプターも買えないや。
ちなみに、某鉄道会社が発売している特別企画乗車券『青春18きっぷ』。
実はこれには年齢制限はない。
よし、今からでも青春を謳歌できるぞ!
十七文字
世界でもっとも短い詩。
俳句。
たったの17文字の中に季節感まで持たせる。
なかなか過酷なルールだと思う。
何しろ語彙に疎ければ話にならない。
文字数制限と季語、そして韻。
いい言葉を選んで組み立てる。
詩である以上は、音楽の作詞に通じるものがあるのではないだろうか。
フレーズが先かメロディが先かという問題はあるだろうけど。
なんにせよ、最終的にはメロディとマッチした詩でなければならない。
そう考えると、ラップやヒップホップのミュージシャンは偉い。
テンポよく、リズムよく。
ところで、よくヒップホップミュージシャンがこんな手をする。

あ、違った。
コレはフレミングの左手の法則だった。
くれぐれも右手でやらないように。
十六進法
コンピュータの世界では、すべては0と1で表される。
1を超えると次の位に繰り上がる。
0000
0001
0010
0011
0100
0101
0110
0111
1000
1001
1010
1011
1100
1101
1110
1111
という具合。
普段我々が使っている位取り法は、10で次の位に繰り上がるので十進法と呼ばれている。
それに対して2で次の位に繰り上がる位取り法は二進法と呼ばれる。
上に列記したものは、十進法で0から15に相当する。
たったこれだけのパターンを列記するのに4桁も使う。
いちいちコンピュータに合わせていたらちょっと大変だ。
かといってヒトが使い慣れた十進法に変換するのも計算が面倒。
なので、二進法4桁で表される16パターンを0から9までの数字とAからFまでの英字を使って表す方法がある。
十進法でいう16で次の位に繰り上がるので、十六進法と呼ばれている。
コンピュータにかかわる仕事でもしない限り、あまり使い道はなさそうだ。
しかし私はこれを老化防止に役立てている。
計算をすることで脳を活性化させるとか、そんな回りくどいことではない。
16になったら次の位に繰り上がって十代になる。
さらに16を足すとまた次の位に繰り上がって二十代になる。
ということは、31歳までなら十代、47歳までなら二十代だと言い張ることが可能だ。
約1.6倍若返る。
これはオススメだ。
十五代
尊氏(たかうじ)
義詮(よしあきら)
義満(よしみつ)
義持(よしもち)
義量(よしかず)
義教(よしのり)
義勝(よしかつ)
義政(よしまさ)
義尚(よしひさ)
義材(よしき)
義澄(よしずみ)⇒義稙(よしたね:義材再任)
義晴(よしはる)
義輝(よしてる)
義栄(よしひで)
義昭(よしあき)
足利さんちの人々だ。
約240年間の室町幕府。
家康(いえやす)
秀忠(ひでただ)
家光(いえみつ)
家綱(いえつな)
綱吉(つなよし)
家宣(いえのぶ)
家継(いえつぐ)
吉宗(よしむね)
家重(いえしげ)
家治(いえはる)
家斉(いえなり)
家慶(いえよし)
家定(いえさだ)
家茂(いえもち)
慶喜(よしのぶ)
こちらは徳川さんちの人々。
約260年間の江戸幕府。
どちらも十五代。
源さんちの鎌倉幕府は三代だったけど。
十五代を経ることで250年前後もの時間が流れる。
その間に文化も変わる。
他の新しい勢力が力をつける。
体制がひっくりかえるのにちょうど良い時間なのかも知れない。
ちなみに、インターネットの質問掲示板にこんな質問が出ていた。
「征夷大将軍になれば幕府を開けると習いました。可能であれば幕府を開いてみたいと思うのですが、とりあえず何から始めればよいのでしょうか。」
すごいことを考える人がいたもんだ。
そして、その質問に本気で回答する人々。
征夷大将軍という職は明治維新で廃止されたので、実は誰も幕府を開くことはできないのだが。
そんな中、こんな回答をする人がいた。
「なることは簡単。いかに維持するかが困難。」
なるほど。
十五代以上続く立派な幕府を開いて欲しいものだ。
十四事
江戸時代、数ある武芸の中でも特に重んじられるものがあったそうな。
射、騎、棒、刀、抜刀、撃剣、薙刀、鎌、槍、鳥銃、石火箭、火箭、捕縛、拳。
まとめて十四事という。
どれもこれもカッコいいなぁ。
もちろん現代社会においては銃刀法やらなんやらで適応しないものもあるけど。
なんにせよ、武芸は良い。
大人になって空手を始めて思うこと。
武の道は人生を豊かにしてくれる。
世界中の子供が、いや、すべての人々が空手をすればいいのに。
いかんいかん、思考が完全にぶっ飛んでる。
だいいち、オレンジ帯ごときで偉そうなコト言うたらあかん。
まずは武の道をおおいに楽しむことからだな。
十三階段
子供の頃、「学校の七不思議」といったものが流行った。
で、その一つに数えられていたのが「十三階段の怪」。
階段を数えながら昇り、そのあと数えながら降りると、なぜか昇ったときより降りたときの方が一段少ないというもの。
私の小学校の階段も、何段かは忘れたが昇ったときより降りたときの方が一段少なかったのだ。
階段の前に立ち、数えながら一段ずつ昇る。
階段のてっぺんについたときに最後の一段を数える。
そのまま後ろを向き、数えながら一段ずつ降りる。
下の階の床につくときは段ではないので数えない。
・・・そりゃあ一段少ないだろう。
当の本人は恐怖におののき、二度と階段を昇り降りするときに数えたりはしなくなった。
数年経ってからこのカラクリに気付くまでは。
大人になった今でも、十三という数字を見ると思い出し笑いしてしまう。
ちなみに、十三日が金曜日だとなんとなく嬉しい。
別に意味はないのだが。
今月の十三日が木曜日なのが残念でならない。
十二分
九分九厘が99%だとすると、十二分は120%だ。
よく、「十二分に頑張った」とか「120%の力を出し切った」とか言う。
限界を超えるのはいいが、なぜ二割増しなのだ?
五割増しまで欲張ってもいいだろうし、一割増しで留めてもよかろうに。
逆に、限界ギリギリまで行かない場合もやはり二割を差し引く。
「腹八分」だったり「目八分」だったり。
「村八分」は差し引くのが八分の方だけど。
おそらくは、ヒトが自然に「ちょっと」と思うのがちょうど全体の二割位なんだろう。
実のところ、この点については確かなデータを持っていない。
統計分析でもしてみたら面白いとは思うが。
なんにせよ、限界ギリギリの前後二割、この「遊び」が大切なんだろうな。
十一面
佛様は我々ヒトを超越した姿をしていることが多いが、十一の顔をもつ佛様もいる。
頭頂:仏面(1面)
正面:菩薩面(3面)
左側:瞋怒面(3面)
右側:狗牙上出面(3面)
背面:大笑面(1面)
ということで、あわせて11面。
私が好きなのは、やはり大笑面。
暴悪大笑面と呼ばれることもあるらしい。
「悪行を笑い飛ばす」あるいは「悪に染まった人を嘲笑い善に導く」という。
普段の生活でも『笑い』の力を実感させられる事が多い。
楽しいときには笑えばいい。
つらいときにはむしろ笑う。
そう、笑いっぱなしが一番だな。
それはそれで怪しいけど。
ちなみに、色々と調べて見ると大笑面のファン(?)は結構多い。
多くの人がサイトやブログでそれぞれの考えを主張している。
なかでも興味深い意見は、童謡『かごめかごめ』について。
「後ろの正面だあれ?」というのは「後ろの笑面だあれ?」なのではないかと。
う〜ん、面白い考えだ。
実際のところ、大笑面の意味については諸説あって定かではないようだ。
いつか機会があったら聞いてみよう。(誰に!?)
十字架
吸血鬼は日光が嫌いだ。
吸血鬼は銀が嫌いだ。
吸血鬼はニンニクが嫌いだ。
日光と銀とニンニク。
この三つには共通点がある。
それは殺菌作用。
日当たりのいいところにはカビは生えない。
銀はその殺菌作用ゆえに食器などにも使われる。
韓国料理に銀の箸が使われているのはそのなごりといわれている。
ニンニクもまた殺菌作用を持つ。
昔、ある少年は食パンを暗いところに放置する実験を行った。
おろしニンニクを塗った食パンと普通の食パン。
やがて一方にだけカビが生えた。
それは普通の食パン。
このことから、ニンニクにも殺菌作用があることが立証できる。
少年が実験に使用した戸棚は使い物にならなくなって捨てられたのだが・・・。
西洋の吸血鬼伝説はペストの流行と関係がある。
・・・と思う。
病原菌の脅威を、吸血鬼というものに重ね合わせたて辻褄を合わせたのだろう。
吸血鬼と日光と銀とニンニク。
宗教的な関連かと思いきや、実はとても科学的だ。
ところが、もう一つがどうも解せない。
それは十字架。
これだけは純粋に宗教的なものなのだろうか?
ずいぶん永いこと考えているが、いまだに解答を得られていない。
う〜ん・・・。
九分九厘
度量衡は理科・数学の基本。
単位系がずれた計算をすると、とんでもないことになる。
割合や歩合についても同じである。
九分九厘という言葉がある。
「九分九厘ダメだろう」と言うとき、実際のところ何%くらいダメなんだろう。それを考えるうえで、この「分」とか「厘」とかいうのがクセモノ。
すべてを十分とし、その十分の一が一分。
さらにその十分の一が一厘。
つまり、「九分九厘ダメ」というのは「99%ダメ」ということになる。
もちろん、これが本来の解釈。
ところが、野球の打率などで使う「分」とか「厘」はちょっと違う。
そもそも「分」の前に「割」が入る。
すべてを十割とし、その十分の一が一割。
さらにその十分の一が一分
さらにその十分の一が一厘。
「九割九分九厘」という打率はかなり高い。
なんせ99.9%だ
つまり、「九分九厘ダメ」というのは「9.9%ダメ」ということになる。
全然ダメじゃない。
むしろ好調。
そんな解釈する人なんているわけない。
と思ったら大間違い。
そんなひねくれ者が実在した。
例の「八手の葉」の研究をした少年だ。
彼は「人一倍」という言葉についても「人の一倍ならフツーじゃん」と平然と言ってのけるほどタチが悪い。
八手
昔むかし、あるところに一人の少年が住んでいました。
彼は小学二年の夏休みに、ある植物をテーマにした自由研究に取り組みました。
それは八手(ヤツデ)。
ヤツデの葉は本当に八股なのか?
これを検証すべく、統計をとりました。
方法は至って簡単。
ヤツデの葉の指(?)の数をただひたすら数えるだけ。
家の近所だけではなく町中を自転車で走り回ってはヤツデの葉を探し、葉の指の数を数えました。
何百枚という葉の統計をとり、彼は一つの結論にたどり着きました。
ヤツデの葉は九股が多い。
それまで人類が信じてきた真理は、ここに崩れ去ったのです。
少年は大きくなって理科の先生になりました。
でも世の中の当たり前と思われることを疑う気持ちを忘れていません。
彼は、いつも何か意外な出来事が起こらないかとワクワクして過ごします。
・・・って言う割りには不測の事態に弱いけど。
七転
七転八倒。
解釈の難しい言葉だ。
転んでは起き、起きては転ぶこと。
苦しくて転げまわること。
辞典を引くと上記のような記載。
結局のところ、どうなんだ?
七回転んで八回倒れる。
起きてないじゃないか。
最後の一回は転びっ放しか倒れっ放しだとしても、十四回は起き上がる必要がある。
まさに不屈の精神。
ハッピーエンドな感じがしないのが気になるところだが。
七転び八起き。
こちらの解釈はたやすい。
転んだ分だけ起きている。
むしろ一回多い。
普通に七回転んだだけでは八回も起きられない。
なので、朝一番の寝起きに転んで起きてを七回繰り返す必要がある。
と、屁理屈をこねてみる。
どちらにせよ、転ぶことが問題なのではない。
起き上がるかどうか。
そしてまた転んでも、また起き上がるかどうか。
最後の最後に立っていられるかどうか。
七転八倒と七転び八起きの違いはそこにある。
せっかくなら、何度でも起き上がってハッピーエンドを迎えたいものだ。
六腑
五臓六腑という言葉がある。
五臓(肝臓・心臓・脾臓・肺臓・腎臓)と六腑(大腸・小腸・胆・胃・三焦・膀胱)。
あわせて五臓六腑。
そのうち六腑の方は五腑と呼ばれることもある。
実在しない臓器がひとつ含まれているからだ。
三焦。
上焦(胸部)・中焦(上腹部)・下焦(下腹部)に分かれ、呼吸・消化・排泄をつかさどる。
・・・らしい。
五臓や他の五腑については部位も働きもはっきりわかっているのに、あえて架空の臓器を付け加える。
昔の人たちは面白いことをするもんだ。
蛋白質やらカルシウムやら脂肪やらを集めて、ヒトのカラダと同じモノを作ることはできる。
が、命を持たないそれはヒトではない。
五臓五腑が揃っていても、それらが正常に機能するためには、何か別の器官がないと辻褄が合わない。
昔の人たちはそう考えて架空の一腑を勘定に入れたのかも知れない。
目に見えている物質的なモノばかりにとらわれてはいけないなぁ・・・。
と思う今日この頃。
五体満足
当たり前のように思えて、決して当たり前だと思ってはいけないこと。
五体満足。
空手に限らず、自由にカラダを動かすことができるのは有り難いこと。
普段はそうゆう意識をあまり持たないけれど。
空手を始めてから、初めて自分のカラダに意識が向くようになった。
そして、これまた初めて認識した自分のカラダの動かなさ加減。
五体満足に生まれついたのだから、せめて五体を満足に動かせなければ・・・。
四半世紀
ということで、深大寺に行ってきた。
仕事が休みだったことも手伝って、思い立ったらすぐ行動。
子供の頃、よくお正月にお参りに来ていた深大寺。
もう二十五年も前のこと。
言い換えれば四半世紀か。
こないだ立て続けに夢に見た深大寺の風景は二十五年前のもの。
まったく変わらないところもあれば、ずいぶんと変わってしまったところもある。
改めて、流れた時間の永さに気付かされる。
それにしても、「思い出の場所」があって、ふと思い立った時にそこに行けるのは幸せなことだ。
深大寺そばを食べながらそう思った。
そして、好きなところで好きなものを食べる。
これも幸せなこと。
ということで、今日は一日好きなところへ行って好きなことをしようと決心。
まずは、せっかくなので実家の両親に顔を出す。
お土産は深大寺そば饅頭。
深大寺に行った帰りということもあり、昔話に花が咲く。
そして、実家を出たら座間の珈琲屋さんに直行。
美味しいそばを食べたら美味しい珈琲が飲みたいという安直な発想。
珈琲だけではなく、お店全体が味わい深い素敵なお店。
ここでできる好きなこととは、マスターや奥様とのお話し。
我が家と同じネコ科のお子さんが二人いらっしゃる。
子育てのこと、仕事のこと、空手のこと・・・。
時間も忘れてお話しさせて頂いた。
いや〜、とてもいい日だった。
明日は空手の日、明日もきっといい日になるぞ!
三大
最近、東京都調布市にある深大寺というお寺に行く夢を見た。
しかも二晩連続で。
「呼ばれている」のかも知れないと思い、ちょっと深大寺について調べてみた。
毎年、三月三日と四日はだるま市が開かれるらしい。
え?もうすぐじゃん。
なるほど、これに来いということか・・・。
と変に納得してみる。
深大寺のだるま市は日本の三大だるま市に数えられるらしい。
それにしても、三という数字はいい。
一脚や二脚では安定しないが三脚だと安定する。
四脚だとかえって平面を固定できずに安定しない。
三次元世界に生きる我々にとって最も身近な数字と言っても過言ではないだろう。
ネット上で誰でも閲覧・編集ができる某フリー百科辞典では、「世界三大一覧」や「日本三大一覧」がまとめられていた。
日本三大だるま市。
日本三大家電メーカー。
日本三大暴力団。
・・・それってどうなの?
二択
人生において、いくつかの選択肢から一つを選ぶ場面というのは数えきれないほどある。
人生を左右するような重要なものから、どちらでもよさそうな些細なものまで。
選択肢の数が多ければ多いほど迷ってしまうが、言い換えればそれだけ選択の自由があるということ。
もし後になって自分の選択を後悔することがあっても、「あれだけ選択肢があったんだから仕方ない」とか「もっと悪い結果になる選択肢があったかも」と、ある程度はあきらめがつく。
では二者択一はどうだろうか?
自分が選ぶ道は一本だが、選ばない道も一本。
後悔先に立たず。
そう、二択とは最も酷な選択なのだ。
コンビニで二種類の美味しそうなプリンを前に数分間も悩み続け、結局「どちらも買わない」という第三の選択肢に逃げたチキンな私。
その選択に後悔はないっ!
一新
またまたブログの更新が止まってしまった。
なかなかいいペースで更新できていたんだけどな。
ちなみに、2月の記事のタイトルはすべて二字熟語。
しかも、せっかくなのでしりとりにしてみた。
二文字だとすぐにわかってしまうなぁ。
みんなが忘れた頃にもう少し多い文字数でやってみよう。
そして今日からは月が変わって3月。
気持ちを一新して新しいルールを導入しよう。
まぁ、ルールといえば聞こえがいいが、単なるお遊びなんだよね。