白衣の“ペ”天使

フツーの理科の先生が、日頃のできごとをフツーに綴るフツーの日記。・・・ところで、フツーって何だっけ?

盤石

毎週火曜は空手の日。
朝から頭痛がひどかったので、稽古に行くことにした。
前にも同じような事があったなぁ・・・。
きっとアドレナリンが出るから、具合の悪いときこそ稽古はオススメという結論に達した。

今日も夕方まで迷いつつ、道場に行って道着に着替えたら後戻りできなくなるだろうという算段のもとに作戦決行。
なんの事はない、基本稽古が終わる頃には頭痛の事なんて忘れていた。
で、そのまま稽古後の強化スパーリングまで頑張ってみた。

稽古に参加するのも、強化スパーリングをお願いするのも、気持ちが乗ってこないとめげてしまう。
芯になるモノが必要だ。
心の中に大きな一枚岩を持とう。

銀盤

色々とあってブログの更新が止まってしまった。
「次の記事のテーマは?」と妻に聞かれた。
今回のテーマは銀盤。

子供の頃、毎年冬になると父が近くの遊園地のスケートリンクに連れていってくれた。
父は自前のスケートシューズですいすいと滑る。
私は氷の上を滑るというより走るという感じで必死についていく。
そして派手に転ぶ。
その横を猛スピードで滑り去る謎の集団。
プロかアマか、なんにせよ本気でスピードを追求する人々。
空気抵抗を最小限にするべく全身タイツで身を包んだその姿は、幼い私には異様に見えた。
物知りで親切な従兄が、「あれは宇宙人だよ」と教えてくれた。

そんな思い出を記事にしようと思っていたのだが、妻にとっては私がスケートをできる事自体が意外だったようだ。

妻:「ジャンプしたりできるの?」
私:「そんなの危ないよ」
妻:「じゃ、スピンは?」
私:「目ぇまわるやろ」
妻:「だったら何ができるの?」
私:「ただひたすら速く滑る」
妻:「・・・。」

結局、私は宇宙人に魅せられてしまったのだ。
私にとっては、スケートと言えばスピードスケート。
フィギュアスケートではない。

妻:「ねぇ、それって銀盤って言わないよね」

・・・痛いところつくなぁ。

路銀

路銀。
いわゆる交通費の事だが、ただならぬ雰囲気を醸し出す響き。
地元のみんなの期待を一身に背負っての上京。
で、そのための汽車の運賃をなんとか捻出。
もちろん片道切符。
・・・みたいなね。

それが今はどうだ。
自動改札をICカードでピッと通る。
しかもオートチャージとか。
・・・何だか味気ない。

昨日のブログに書いた幻の環状線。
まだJRが国鉄だった頃の思い出だ。
自動改札なんてモノはなく、改札で駅員さんが鋏をカチカチいわせている。
今よりはずっと不便だったはずなのに、何だかとても懐かしい。

不便なら不便で不満をいい、便利になればなったで不便だった頃を懐かしむ。
人間とは、変な生きものだな。

線路

実家にNゲージの鉄道模型があった。
そして、それを走らせるジオラマ風セットもあった。

こだわり派な父の力作。
楕円形にぐるっと一回りさせた線路を木の板に打ちつけ、まわりには木も生えて緑が生い茂っていたり。
よく、お城のプラモデルに使うアレだ。
ミニチュアの木とか、緑を加えるための青海苔みたいなヤツ。

子供心にはかなりリアリティのあるモノだった。
そこに広がる風景には何一つ嘘はないと信じていた。
それ故に、私は大きな勘違いをしたまま育った。
日本中の、いや世界中の鉄道はすべて環状線だと思い込んでしまったのだ。

やがて私は世の中の真実を知ったわけだが、やはり三つ子の魂百まで。
山手線などの環状線に乗るととても落ち着く。
そして、心の中でこう結論づけるのだ。

「やっぱり、電車はこうでなくっちゃ。」

銅線

エナメル線というものがある。
エナメルでできた線ではなく、エナメルでコーティングされた線である。
この違いは大きい。
くれぐれもお間違いなく。
一般的にエナメル線の正体は銅線であることが多いのだが、いつもエナメル線と呼ばれてしまう。
エナメルでコーティングしてあれば、中身は何でも良いのだ。
ニクロム線だって、金糸だって、木綿糸だって、エナメルでコーティングすればエナメル線。
いい加減なもんだ。

銅線が銅線であることを主張するためには、外側のエナメルが邪魔だ。
自分が何かを主張したければ、まわりを覆っている表面的なモノを取り去る必要がある。
いま、私は空手を通じてこの課題と向き合っている。
いつまでもエナメル線のままではいけないな。

分銅

「上皿天秤の分銅は、素手で触ってはいけません。」
小学校の理科の授業でそう教わる。
分銅に皮脂が付着すると、そこからサビる。
つまり酸化することで質量が変わる。
ものの質量を計る基準となるものがブレてしまったら、正しく計量することはできなくなる。

人が物事を判断するとき、心の中の分銅を使っていると考えられないだろうか。
善悪や損得、そういうものを自分の分銅を使って量り、結論を導きだす。
自分と異なる分銅を持っている人とは、当然異なる考え方をする。
そして自分の分銅がサビてしまったら、おかしな考え方しかできなくなる。

サビない分銅をしっかりと持ち続けたいものだ。

春分

立春から約1ヶ月半が経つと、春分が訪れる。
こちらはだいぶ春っぽい。
そして、昼と夜の長さがほぼ等しくなる日。
文字通り春分の日。

立春に始まり、雨水や春分など一年を二十四に分ける暦上の点を二十四節気と呼ぶ。
暦上といいながら、黄経や南中高度など理科的な要素をもとに決められる。
中でも、春分、夏至、秋分、冬至はとても分かりやすい。

そう考えると、昔の人たちの智恵は本当に凄いな。
現代の科学ではできないことが昔はフツーにできていたり。
う〜ん、見に行きたい!
・・・早くタイムマシンできないかな。

立春

子供の頃はずっとキライだった。
「暦の上では春です」という決まり文句。
暦の上という得体の知れない世界で、リアリティのない春を言い聞かせれてもいまいちピンとこない。
「この服は正直者にしか見えません」みたいな。
正月を春と呼び、旧暦の正月がこの時期にあたるということが分かるようになってからは少しは納得できるようになったが。
それにしても寒い。
そして、今日は雪ですか・・・。
もう立春を過ぎ、暦の上では春なのに。

暦の上では春、ということはやっと本格的に今年が始まったわけだ。
良い年にするぞ!

ということで・・・。
新年、明けましておめでとうございます。
今年も宜しくお願いします。

倒立

逆立ちしても無理。
・・・そう思うことが、人生に何度あるだろうか。
実際に無理な時もあれば、やってみたら無理じゃない時もある。

いずれにせよ、ひとつだけ疑問が残る。
逆立ちする必要はあるのか?
逆立ちすることで事態は明らかに悪化する。
どんなに無理なことでも、ベストな状況で臨むべきだろう。
それを逆立ちとは!

って、乗っけから小学生レベルの屁理屈をこねてみる。

今日の空手は風邪気味での参加。
でもカラダがフツーに動くんだから風邪気味気味くらいだろうか。
いつもの稽古やその後の特訓は、とても充実ながらも厳しい時間。
正直、逃げ出したくなる。
その気持ちが体調を崩していただけなのかも知れない。

特訓は、自分の限界を超えるために始めたもの(他にも目的はあるけど)。
「体調がベストじゃないからお手やわらかに」?
そんなこと言えるのだろうか?
それこそ、「逆立ちしてでもやれ」ってとこだろうか?
自分でもよく分からなくなってしまっていた。

答えはきっと道場にある!
少なくとも、家でうじうじしていても答えは見つからない。
これだけは間違いない。
そう思った。

で、その結果。
ヨロヨロになりながらも稽古はなんとか無事に終了。その後の特訓はというと・・・。
いつものようなガチンコのスパーリングではなく、みっちりと時間をかけて指導していただいた。
それでも強めのあたりがあったり集中的に打ち込みをしたりと、キツく充実した時間。
先輩には本当に感謝だ。

せっかく教わったことは、きちんと自分のものにしなくては。
カラダで覚えて、自分なりの気付きとともに自分の中に落とし込む。
ずいぶんと時間がかかるだろうな。
逆立ちなんかしてるヒマはないぞ!

面倒

私は面倒臭がりだ。
それも筋金入りの。

たとえば、リビングに敷いたホットカーペットに寝転がってくつろいでいるとする。
火災防止の機能で、ホットカーペットは数時間で自動的にスイッチが切れる。
温もりはみるみる失われて行く。
フツーの人なら起き上がってカーペットの端っこのスイッチを入れ直す。
だが私は違う。
必要最小限の動きで足をスイッチまでのばして操作する。

下手をすれば足がつる。
また、電源スイッチだけをうまく操作できる保証もない。
電源スイッチの他に、全面・右面・左面を切り替えるスイッチ、そして温度調整のツマミがある。
電源スイッチを操作する際、他のスイッチやツマミに足先が触れないとも限らない。
ホットカーペット全体が暖まらなかったり、設定温度が低くなったりあるいは高すぎたり。
で、結局は他のスイッチ群を確認するために起き上がる・・・。

面倒なことを避けようとすると、かえって面倒が増える。
なんだかとても深遠な思想に辿り着いた気がする。
と。
・・・ホットカーペットのスイッチを足で操作する面倒臭がりが偉そうに。

一面

辺り一面に広がる白銀の世界。
・・・を期待してたんだけど、あまり積もらなかったな・・・。

交通機関に影響は出るし、雪かきもしなきゃいけないし、凍れば滑るし。
大変なことずくめなはずなのに、なぜウキウキしてしまうのだろう。
雪だるまを作るわけでもなければ、かまくらを作るわけでもない。
ただ、雪が積もると嬉しくなってしまう。
犬の心理と同じなのかな・・・。

そういえば、ちょうど一年くらい前にこのブログで『猫がコタツで丸くなる』ことについて触れた。
『犬は喜び庭駆け回る』ことについても検証する必要がありそうだ。
なぜなら、彼らは足が冷たくてじっとしていられないだけかも知れないのだ。
人間の勝手な先入観や思い込みで動物の習性を決めつけてはいけない。

・・・と決めつける私が一番タチが悪いな。

統一

先月の一ケ月間、このブログでは記事のタイトルに変なこだわりを持ってみた。
動詞一語でズバッと斬る。
別に誰に言われたというわけではない。
単純に、その日の記事の内容にマッチした動詞を選ぶ自分なりのお遊び。
一ケ月続けて振り返って見ると、結構圧巻。
変な統一感があって面白い。
そろそろこの辺にしといて、また新しいお遊びでも見つけよっと。

統一と言えば、人間に対してそれを強制するとおかしなことになる。
もちろん集団においてはある程度の規律は必要だろうが。
先日このブログでも記事にした、人に強制するという話題。
やはりそれは良くない。

今朝、電車の中でこんな人を見かけた。
彼は携帯ゲーム機で遊んでいた。
ちゃんとイヤホンを付けていたので誰にも迷惑をかけてはいなかった。
ところが、そこにケータイの着信音が鳴り響く。
「あぁ、鳴っちゃってるよ・・・。」
と思ったら、フツーに出てるし。
「あぁ、出ちゃったよ・・・。」
で、大きな声でこう言う。
「あ、ごめんなさい、寝坊しちゃいまして。あはははは。」
って、そんな人とは仕事とか一緒にやりたくないな・・・。

で、そう考えた時に先日の強制の話を思い出した。
私にとってフツーじゃないことが彼にとってフツーで、
彼にとってフツーじゃないことが私にとってフツーなのかも知れない。
もぅ、これは強制するようなことではないのだろうな・・・。
そう思えるようになっただけ、少しは成長したのかも。
プロフィール

Author:PsyenceCat
理科の先生をやってます。
家族は嫁と二匹の息子たち(ネコ目ネコ科ネコ属ヤマネコ種イエネコ亜種)。
座右の銘は『これを知る者はこれを好む者に如かず。これを好む者はこれを楽しむ者に如かず。』

最近の記事
最近のコメント
最近のトラックバック

月別アーカイブ
カテゴリー
ブロとも申請フォーム
ナイト2000(意味なし)

■■■■■■■■■■■■■

カレンダー

天気予報


-天気予報コム- -FC2-

ブログ内検索

RSSフィード
リンク
By FC2ブログ
カウンター